2017年*
2017年は、あまりにも突然すぎる恩師との別れから始まり。
気づいたら、社会福祉士の国家試験当日になって。
落ち着く時間もなく、片道2時間かけて1ヶ月間実習へ行き。
社会福祉士に合格したと思ったら、あっという間に社会人。
母子生活支援施設での毎日は、「他者」にとって「私」はどんな人間でありたいか、問われ続け、心揺さぶられる日々でした。
大学時代は、「学問」として同じことを考えていたけれど、今は「仕事」としてで、責任の重さをどーんと感じました。
家族でもなければ、友達でもなく、職員という立場に悩むこともあって。
でも、悩んだ分だけ成長できると思い込んで、がむしゃらにやってたらいつの間にか年末に。笑
社会人になって、プライベートでもいろんな変化があり、ほんの少し「大人」になっていると信じたい...笑
2018年は、もっと視野を広げて、心に余裕を持って。
ひとつひとつ丁寧に貪欲に取り組めたらなぁと。
ソーシャルワーカーにできることはもっとあるはず。
(元旦から出勤なので、さっそくがんばる!)
24時間365日のシフト制だけど、イベントや飲み会にももっと参加したい...!
2017年、お世話になった皆さん本当にありがとうございました。
2018年、笑顔あふれる素敵な1年になりますように🐾
しごとのこと。こどもたちのこと。
仕事が終わってふとした瞬間、
タンザニアの難民キャンプで出会った子どもたちは、
今何をしているんだろうと思うことがある。
小さい身体であまりにも大きすぎるものを抱えて。
でも、そんなことを感じさせないエネルギーを持ってる。
それは今のしごとでも同じ。
でもやっぱり、ひとりでは抱えきれなくて、
いろんな表現でおとなに全力でぶつかってくる。
そうした関わり合いの中で、
「わたし」には何ができるのか、
毎日ぐるぐる考えてやってみて。
その繰り返し。
大変なこと、自分の無力さを
感じることばかりだけど、
ひとつひとつ地道に積み重ねることで
全力でぶつかってくるこどもたちに
全力で向き合って応えられたらと思う。
難民キャンプでの写真をみるたびに
こどもたちのエネルギーに
「写真」という手段で向き合った時間は
今すごくいかされてることを感じる。
みんなにまた会いたくなる。
となるひと。
福祉の道に進むと決めてから、ずっと見たかった映画「隣る人」。
やっとみることができた。
最初から最後まで、溢れるほど心揺さぶられた。
いろんな事情で、血の繋がった家族とは暮らすことができない子どもたち。
その子どもたちと血の繋がりがない大人たちが寄り添う日々の記録。
必死にしがみつくように愛を求める子どもたち。
それにひたむきに応えようとする大人たち。
その日常は、もどかしくて苦しくて、でもあたたかくて優しい時間が流れてた。
私が捉えていた「日常」はどれほど浅くて、「日常」を生きることが、どれほど広く深いものか。
考えずにはいられなかった。
他人と「家族」になれるのか。
「家族」の姿とはなにか。
85分間、問われ続けているようだった。
この国の「家族」の定義は、良くも悪くもとても狭く感じる。
特にカンボジアスタツアでの経験から、そう強く思う。
「家族」の「家」ってなんだろう。
「house」なのか「home」なのか。
この文章を書きながら頭の中がぐるぐる。
そして映画を見る前から、「隣る人」って一体どんな人なのか、ずっと考えていた。
家に帰って、映画のチラシを見返した時に気付いた、この映画のサブタイトル。
「never let me go」
隣ることは、離さないこと。
いつだったか、(たぶん)アフリカのことわざで
「It takes a village to raise a child.」
という言葉をふと思い出した。
子どもは、家族だけじゃなくて、学校や近所に人や、まるごとまちで育てる。
そして大人たちも一緒に育っていく。
そんな日常が、欲しい未来。
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児童養護施設は全国に約600か所、約3万人のおおむね2歳から18歳の子どもたちが暮らしている。
そのうちの1割(63か所、約3000人)が東京で、子どもたちは今日も日常を過ごしている。
上映後のトークショーで、児童養護施設に対するイメージやまなざしが、あまりにも偏ってしまっていることに気付かされた。
でも、実際に経験のないことに対して、さまざまなイメージを抱いて語ってしまうのは、仕方のないこと。
私だって、そういう部分がまだまだある。
だから、まずは私からアクションしてみよう。
やりたいことがまた一つ増えた。
2016年に感謝をこめて、2017年を生きていきたい。
年の終わりに、気持ちを新たに*
過去と今のジブン*
書き途中だった43日前の記事。
43日経った今、ちょっぴり加筆修正してアップ*
❀❀❀
秋の風がここちよい季節。
最近はもっぱら、国家試験に向けての勉強か、卒業後のことでぐるぐる。
なんとなくせわしなく生きてて、思考すること、立ち止まることをすっかり忘れていた。
そんな時に、寿からニュースレターが届いた。
寿でみたこと、きいたこと、ふれたこと、かんじたことをまとめた原稿。
ラスト一週間は、徹夜で書いてた。それくらい表現することに妥協したくはなかった。
いつもそうだった。
過去の自分が、今の自分に教えてくれる。
いっそのこと、地方に行ってしまおうか考えていた。
今読み返すと、もっと表現できたことがあった気もする。
❀❀❀
けれど、こうして「今」を書き残す機会を与えてくれることに感謝。
今年もあと1ヶ月。
もうすぐ厳しい越冬の時期がやってくる。
生きることの重みと尊さを感じる冬の訪れ。
改めて気を引き締める。
写真は、去年の冬。写真練習で撮った庭先の植物。笑
なんともいえない、不思議な空間が広がる。
そんな感覚、嫌いじゃない。
まちをつむぐ。
国家試験前の気分転換に。
高校時代、お世話になった先生が主催するバスツアーに参加*
バスの中から。雲の谷間から光が差し込んで幻想的。
今回のツアーは湘南エリアでの戦跡を巡ることが目的。
高校生の時もフィールドワークでいろんな場所を訪れたけど、このエリアは初めて。
混沌とする世界の中で、過去から学ぶことがたくさんある。
駅のホームには、銃痕があるらしい。
吾妻山からの眺め。
晴れてたら富士山もみえるそうな。
かつて、平塚には海軍火薬廠があるまちだった。
赤い点は、空襲の時B29が落ちた数をあらわしたもの。
「こんなに落ちたら、絶対に人に当たるよね。」
そんな言葉が突き刺さる。全国各地、約70年前の空はどこもそうだったと思うと。
出征することが祝される時代。
今、わたしたちのまなざしはどこへ向いているだろうか。
都心にも近く、海に囲まれて貿易も盛んだった神奈川だから、戦争を「支える」まちになってしまった。そう思わずにはいられない。
これからの未来、わたしはどんなまちをつくり、つなげていきたいだろうか。
そして話は変わって。
「飲食店はまちのパブリックスペース」
この言葉を耳にした時、そこまで理解できない自分がいた。
でも、お昼ごはんで訪れたお店に入った瞬間、腑に落ちた。
これが「パブリックスペース」だと。
とっても趣のある古民家。
深みのあるあたたかい空間。
「差し上げますコーナー」のネーミングが好き。
今は「シェア」が流行りみたいに扱われる気がする、きっと一昔前は当たり前だったんだろうなぁ。
絵本やおもちゃがいっぱい。
家族連れのお客さんもいる理由がよーくわかる。
そして2階にあがると...
これまた長居したくなるような空間。
意外と気持ちよかったねころび棒。笑
こういうアンティークな家具を眺めてるだけで、なんだかほっこりする。
肝心のごはんもこだわりの食材で味わい深くて美味しかった*
いつか、こんな場所をつくれたらなぁと密かに思ったり。
高校の時、部活動のモットーだった「Think Globally, Act Locally.」
地球規模に考えて、足元から行動する。
改めて、そう生きていきたいと思う一日*
なかののまち*
SNSで書いたことをこっちにも。
なかのフィルム以来、半年ぶりの中野*
高校の親友が働いているお店、麦酒大学へ。
https://s.tabelog.com/en/tokyo/A1319/A131902/13199895/
中野駅南口からレンガ坂へ行ってすぐのところ。
お店の看板がスタイリッシュで素敵*
2階が立ち飲み、3階が宴会用のテーブル席で、店内がほんとにオシャレ*
開店したばかりなのに、不思議と落ち着く雰囲気は、きっとそこで働く皆さんの人柄がつくりだしているんだろうなぁ。
楽しみにしてたビールは、泡が美味しいという衝撃…!!
やきとりも、びっくりするほどの大きさ!!
ご当地ハイボール「ナカボール」も、辛口でキレがあって私好みの味♡
(麦酒大学注ぎとお通し)
(専用グラスで飲むナカボール)
(デカすぎるつくね)
高校生の時には、まさか友達にビールを注いでもらえる日が来るとは想像すらしていなかったけど(笑)、予想もつかない展開があるから人生面白いなぁとふと思ったり。
そして、店主の方がお客さんと「どうしたらもっと美味しいビールになるか、このお店で実験をしている気持ちなんですよね。」とお話していたのが、なんだか印象的だった。
その実験をする人が魅力的で、心から楽しんでいるからこそ、まちから人が集い、人が人を呼ぶ連鎖が生まれるわけで。
そんな場所から、予想を遥かに超える化学反応が起きるんじゃないかって思うと、これからがとってもワクワクで楽しみ。
(ビール愛を感じる本の数々)
中野にお越しの際はぜひ麦酒大学へ*
みるということ*
暗闇の中。
どんなに時間が経っても何もみえない真っ暗闇。
8人の参加者と、視覚障害を持つアテンドの方と一緒に進む、漆黒の世界。
声や香り、音、手先の感覚。
それだけが頼り。
最初は、一歩踏み出すことさえどうしようもなく不安だった。
けれど声が聞こえるだけで、モノや人に触れるだけで、ものすごく安心した。
90分間の冒険。
草の香りを感じながらトンネルをくぐって。
橋を渡り、美術館で絵を鑑賞して。
そのあとはカフェに寄り道。
「触れて」飲み物を注文してみんなでおしゃべり。
最後は少し光が差し込む部屋で、この90分を1枚の絵にした。
「トンネルをくぐり終わってひらけた瞬間に「みえた」気がした。」
「1人では何もみえないと思った。」
「飲み物の味が濃く感じる。いつもは水みたいに飲んじゃうけど。」
参加者の皆さんの声。
一つ一つの言葉が私にはとっても新鮮な気づき。
90分間、暗闇のエンターテイメントを堪能して、思うことは溢れるほどある。
暗闇だからわかる、日常の不便さ。
「みえる人間」の視点で多くのモノが生産されていること。
みえない世界をみることで、みえる世界の狭さを突きつけられる。
暗闇だからわかる、人の本当の姿。
困っていたら、当たり前のように手と手を取り合う。
もし「みえて」いたら、同じことができただろうか。
「あなたにとってみるということは?」
私は「日常にありふれたものを感じること」と答えた。
目から入ってくる情報や時間感覚がなくなる暗闇。
情報量が減って追われるものがなくなって、全身が研ぎ澄まされる。
暗闇があんなに怖かったのに、光がみえた時「日常」に戻るのを一瞬ためらった。
帰り道。雑踏とした山手線のホームで、蝉の声がはっきり聞こえる。
暗闇が私の日常を豊かにしてくれた、そんな気がした。
***
ダイアログ・イン・ザ・ダークで体験したことをつらつらと。
体験した直後、うまく言葉にできないのはいつものことで。
でも落ち着いて少しずつ振り返ると、たくさんの心の動きがあったんだなぁと気づく。
秋を感じる夏の終わり。これからも、まだみぬ世界を楽しみに。