すずのおと*

〜「ソーシャルワーカー」へのみち〜

トウキョウ。

ある日、銀座近辺をふらふら歩いていたら、突然英語で話しかけられた。

 

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どうやら、エルメスの近くにある焼き鳥屋さんに行きたいらしい。

 

歩いて数分の場所のようなので、一緒に行くことに。

 

車椅子のおばあさまと

息子であろうおじさまと

奥さんであろうおばあさまと

娘さんの4人家族。

 

下手くそな英語で質問してみたら、インドネシアから観光で来たそうな。

 

ガルーに行ったことあるよって話したら…

「とっても遠いじゃん!温泉入ったぁ?」って笑

 

そんなこんな話をしていたら、急に「ガタン!」と音がした。

 

車道と歩行者用道路の境目。

たった1,2センチの段差。

でも車椅子にはとっても大きな衝撃。

 

思わず、おばあさまもおじさまと苦笑い。

 

東京ってバリアフリーどころか、バリアだらけだと思った瞬間。

 

なんだか恥ずかしくて申し訳ない気持ちになってしまった。

 

*****

 

リオオリンピックで盛り上がる2016年。

 

4年後は東京オリンピックパラリンピック

 

東京は、世界中の「多様」な人々をもてなす準備ができているのだろうか。

 

日本が好きだから、なおさらそう思わずにはいられない。

美味しい焼肉を食するように、欲しい未来に投票する。

ある休日のこと。

学校の人たち5人と高田馬場にある焼肉店へ。

 

今まで見たことのない厚切りタンが目の前に...♡

 

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焼きあがるのを待っていたら、ある1人が店長に尋ねた。

 

「どう食べるのが美味しいですか?」

(タレの種類や焼き加減も含めて)

 

そして、店長さんは笑顔でこう答えてくださった。

 

「そう聞いてくれるのは嬉しいね。主体的に考えてくれてることでしょ。最近の飲食店だと、店側の都合で決まりきってることあるじゃない。そうすると、お客さんが受け身になって、どうしたら美味しく食べられるか思考しなくなっちゃうんだよね。」

 

*****

 

至福の焼肉から数日後。

電車に乗っていると、スーツを着た20代くらいの男女二人組が、イギリスの国民投票の話をしていた。(それを盗み聞きする私。笑)

そして、日本の参議院議員選挙の話に。

 

男性「そういえばさ、そろそろ選挙あるけど行くの?」

女性「えー、行かないかな。」

男性「そうなんだ、どうして?」

女性「だって、政治のこと全然わかんないし。笑」

 

私「…それはわからないんじゃなくて、あなたがわかろうとしてないんでしょ?」

と、つい心の中で思ってしまった。

 

*****

 

主体的に考えること。

ありきたりな言葉だけど、焼肉屋で店長さんの話を聞いて、ずっしりと心に残っている。

美味しいものを食することと、選挙に行って投票することは、意外にも通じるものがあるんじゃないかなと。

毎日の暮らしを楽しむ延長線上に、政治を真剣に考える瞬間があればと心から思う。

(私がいいたいこと、選挙の現実をわかりやすく伝えていると思う記事をシェア。多少疑問点もあるけど。)

「誰も政治を教えてくれなかった」人たちへ(出口治明)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

 

 

2016年7月10日、参議院議員選挙

2012年の政権交代した総選挙も、2013年の参議院議員選挙も、選挙権がなかった悔しさ。
初の国政選挙で、意志を持って投票できる嬉しさを心に留めて。
 

私は私が欲しい未来に投票する。

それでもやっぱり、日本を好きでいたいから。

そらとこころ。

昨日大学のゼミ仲間と飲んでいたら、「すずのおと読んでるよ!」と言ってくれて。

嬉しいような、ちょっぴり恥ずかしいような...笑

 

でも、自分のために気ままに綴ったことが、一瞬でも誰かの心に残るなら。

思考や感情の記録って価値あることだなと改めて思う。

 

大好きな大学を卒業してまだ3ヶ月。もう3ヶ月。

あんなこと。こんなこと。あの日のことが蘇ってくる。

今でもなぜか脳裏に浮かぶ、あの言葉に出会った日。

 

 

4年前の4月。

ピカピカの大学1年生。

 

穴埋め的に履修した、人間とシンボルという哲学の授業。

正直、内容は全く覚えていないけど(笑)、先生がおもむろに口にした言葉だけは今でも心に残っている。

 

「大学生は空を見上げて、物事を考える余裕がある」

 

せわしく日々を過ごしている時。

心の余裕がなくなりそうな時。

私は意図的に空を見上げる。

 

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 そうすると、いつも心が穏やかになる(気がする)。

そう感じるようになってから空を見ることが多くなったけれど、どうしても虚しくなる瞬間がある。

 

それは「都会」で空を見上げた時。

高層ビルが立ち並ぶ空間は、空との距離があまりにも遠くて。

心にぽっかり穴が空いたようなそんな感覚。

 

そうモヤモヤしていたら、都会だから空を「見上げる」のだと、ふと気づいた。

 

目の前に空が広がる、そんな場所に何度も出会ってきて。

見上げなくても視界に空が映るから、心落ち着けるのかなぁと。

 

 

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写真は上からタンザニア(カスル)、カンボジアトンレサップ湖)、長崎(茂木)、宮城(唐桑)の空。

 

世界中、日本中、どこの空にも、そこにしかない表情がある。

空をテーマに旅するのもありだなぁんて思ったり*

カメラノチカラ*

いつからだったか。

 

子どもの頃、遠足の時は欠かさずインスタントカメラを持っていて。

中学生でデジタルカメラを買ってもらって。

ハタチになって一眼レフカメラを持ち歩くようになった。

 

「鈴香が撮る写真が大好きだよ」

母が一番のファンでいてくれて、私はカメラが好きになった。

 

二度と来ない「今」を表現する感覚がたまらなく好きで。

 

その場所にいるから。その瞬間に立ち会っているから。

私だから見える世界がそこにはある。

 

そして、カメラには国も言語も宗教も超えるチカラがある。

そう信じてやまないのは、タンザニアブルンジ難民の子どもたちと出会ったから。

 

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世界最大級と言われているタンザニア・ニャルグス難民キャンプ。

 

www.msf.or.jp

 

車から降りた時、近寄ってくる彼らにどう接したらいいのかわからなかった。

私の想像を絶するほどの経験をして、今ここにいるわけで。

でも、底抜けに明るくて。パワーに満ち溢れていて。

私は難民キャンプにいるのか?って一瞬疑うほど。

 

言語がわからなくても、徐々にカメラが私と彼らの距離を縮めてくれた。

カメラというツールにと心から感謝した瞬間。

(もちろんいきなり写真を撮ると、相手に不信感や警戒感を与えてしまうこともあるから、そこは謙虚に丁寧に。)

 

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 瞳が青く見えるのは、空が青いから。

もう一度、その手を握りしめたくなる。

 

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6月20日。今日は世界難民の日

なぜ笑顔でパワフルな彼らが、故郷を追われて異国の地で、難民のキャンプで暮らさなければならないのか。

それは、私たちの「豊かな」暮らしと関係しているということ。

 

いつか彼らの故郷を訪れて、この写真を届けたい。

そんな穏やかな日常が来ることを信じて。

 

「快」なとき。

 ある授業のとき。

 
「皆さんにとって心地いい、快適、好きなこと、単語でも文章でも自由に書いてみてください。」
 
3✕3のマス目の真ん中に「快」と書いて、その周りに自分が好きなことを埋めていく。
 
 

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思いつくまま、ぱぱっと書いたらこんな感じに。

(社会人になったら、「働く」が入るんだろうなぁ。そういう仕事していたい。てかする。)

その後、なぜそれが「快」なのか、グループでぺちゃくちゃおしゃべり。 

しばらくして、先生がこう切り出した。

 

「皆さんにとって心地よいことは、誰かにとって苦痛なこともあるんです。」

 

例えば「お風呂に入ること」が心地よいことだとする。

でも、お風呂の入り方って本当に人それぞれで。

シャンプーだけの人もいれば、リンスやコンディショナーを使う人も。

お湯加減も、ぬるめが好きな人もいれば、熱いのが好きな人もいる。

もちろん、お気に入りのメーカーやブランドがある人もいる。

 

挙げたらキリがないけれど、それぞれの「心地よさ」に対応しきれないのが現実にはあって。

ある介護の現場にいた人のお話では、いかに利用者○人を○分で、効率良く入浴させるかで精一杯だったと。(もちろん全ての現場がそうではないのは前提で。)

画一的で合理性を求めた入浴を「快」に思う人はきっと少ないはず。

 

「快」ってなんだろうって考えてみる。

結局「その人にとっての幸せ」かなと思う。

ありきたりかもしれないけど、シンプルにそうかなと。

それはつまり、福祉が担う役割の一つであると思っていて。

それでも、なかなか機能していない部分があるのは、きっと複雑な矛盾を抱えているから。

組織や人材、法や制度などなど、いろいろあると思うけど、もっともっと根深くて「見えていない」ことがある気がする。

だから、また整理してもう少し深く書き直す予定。

 

学校が始まって2ヶ月経過して、まだまだこれからの問い。

 

 

 

 

 

ここからは、ものすごーく余談。笑

 

私にとって「快」は写真を撮ることなので。

思うがままに好きな写真をアップ!

 (今回は2年前のカンボジアと京都。笑)

 

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ただ綺麗に並べてあるだけ。でも心惹かれる。 

 

 

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その近くで、たむろってたおっちゃん達。

とにかく陽気で面白かった。

何が面白かったかは忘れた。笑

 

 

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かつてゴミ山があったスラム街。

海外NGOが運営している幼稚園に通う子どもたち。

 

 

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ふらっと訪問した、まちなかにある小学校。

(日本だったら不法侵入だったかも。笑)

 

 

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京都・糺の森

この時、一緒に京都観光してくれたのは、カンボジアスタツアで出会った人。

 

またみんなに会いたくなる。あの場所に行きたくなる。

それほど「快」なときだったと、今さら実感。

JKビジネスから学んだ「ココロ」の寄り添いかた。

先週のおはなし*

 

高校生時代からお世話になっている寿町のつながりで、一般社団法人colaboの講演会に行ってきました。

 

www.colabo-official.net

 

場所は… 

 

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大好きな横浜♡

(写真は花火大会に行った時の。)

 

桜木町駅の近くにある教会での講演会。

 

 

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教会も人が集うパブリックスペース。

 

そして、ステンドグラスがめちゃくちゃ素敵。

 部屋の窓をステンドグラスにしたら、毎日カーテンを開けるのが楽しいだろうなぁ。(妄想)

 

 

ここからいよいよ本題。

 

 

colaboの活動は以前から知っていたけれど、想像を遥かに超える現実で。

 もしかしたら、学校が同じだったあの子も...と数年前の記憶が蘇る。

悲しみや憤り、いろんな感情が湧き上がってくる。

 

 中でも心に刺さったのが、JKビジネスのこと。

全てのJKビジネスが危険とは言い切れないけど、性的被害を受けている女の子たちがいることも事実。

 

一方で講演会の中でもお話があったように、福祉が学ぶべきポイントも多くて。

そのポイントを3つにまとめてみる。

 

 

①「ニーズ」に合わせる

講演会で紹介されていた、JKビジネス関係の求人サイトを実際に見てみると。

 

 

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ぱっと見かわいいサイト。女の子向けってことが一目瞭然。

(仁藤さんが、「公的機関や福祉関係でこんなに可愛いサイトありますか?」と問いかけられ、皆さん失笑してたのが印象的。笑)

 

さらにあるリフレの求人を見てみると、

 

「寮完備!」

「食事代支給・おいしいものが食べられる!」

「オープニングスタッフだから、派閥なし!嫌がらせなし!」

 

女の子たちの環境や心理をよく理解している、ほんとに。

 

居場所もお金もない、頼ることができる大人や関係もなかなかない。

一方でスマホなどのネットは、ライフラインのような存在。

 

福祉よりも先に、「ニーズ」を捉えて物理的、精神的な「居場所づくり」をしている。

 だから、こんなに浸透している。

 

でもよくよく考えると、「本質的ニーズ」は違うのではないかとも思う。(それは後述で。)

 

 

②言葉の影響力

①とも結構重なることで、良くも悪くも言葉の影響力はすごい。

 

なぜ福祉や公的機関などから距離を置かれてしまうのか。

原因はこれが大きく関係しているのではないかと。

 

例えば、ある相談窓口での女の子が受けた言葉。

 

「自分を大切にしなさい」

 

一見その通りだと思うし、私も友達に言いがちな言葉。

けれど、JKビジネスや売春をしている女の子は、自分で生きるためにそうせざるを得ないわけで。じゃあどうやって大切にしたらいいの?って。

 

たった数文字の言葉は、受け取る相手によって追い詰めてしまうこと。

そして、心に距離感が生まれ、一瞬で信頼を失うこと。

 

言葉の選び方と伝え方。

そこへの想像力を最大限に意識しなきゃと反省だし、たぶん一生の課題。

 

 

③とにかくめげない!

スカウトや買春をしたい大人たちは、極論1000人に声をかけて1人でも反応してくれればいいんだとか。

非効率な気もするけど、それにしてもメンタル強すぎる...。

 

でも、こうした姿勢も学ぶことはあって。

 

どうしても相談援助の現場は、受け皿(窓口)を作ることに目がいきがちで、

外に出向くこと(アウトリーチ)になかなか結びついていないようで。

(なぜ結びついていないかはあくまで想像だけど、慢性的な人手不足や業務の負担が大きいことがあるかなと。)

 

行動量に差があるなら、女の子たちの環境や心理を理解するのに差が生まれる。

 

 結局、まずは行動あるのみ!と痛感...。

 

 

そして最後に。

colaboのannual report2014から設立趣意書を抜粋。

 

 

高校時代、私は渋谷で月25日を過ごす「難民高校生」でした。 
 
 家族との仲は悪く、教員ともうまくいかず、街を彷徨っていた私は当時、自分にはどこにも「居場所がない」と思っていました。街には、同じように「居場所がない」と集まっている友人がたくさんいました。
 私たちは、家庭や学校、他のどこにも居場所がないと感じている高校生を「難民高校生」と呼んでいます。
 
 家庭と学校の往復を生活の軸にしている中高生は、限られた人間関係しか持っておらず、それらが何らかのきっかけで崩れると、すぐに孤立してしまいます。「難民高校生」には誰にでもなる可能性があるのです。
 
 そうした少年少女が見守る大人のいない状態で生活するようになると、危険に取り込まれやすくなります。心身ともにリスクの高いところで搾取される違法の仕事、未成年の少女たちの売春斡旋や、性暴力、望まない妊娠や中絶など、目をつぶりたくなるような現実を、10代の頃からたくさん目にしてきました。
 このままの生活を続ける以外にどんな選択肢があるのかさえわからず、ぎりぎりの生活を続けるうちに、ますます孤立・困窮状態から抜け出せなくなってしまいます。そのまま大人になり、親になると、今度は連鎖を生み出す側になってしまいます。
 
 問題の背景には、「関係性の貧困」があります。私たちは、安心して眠ったり過ごせる家や、帰りたいと思える家がない少女、誰かと食卓を囲む体験や、困ったときに頼れる関係性を持たない少女たちと日々出会っています。彼女たちに必要なのは、特別な支援ではなく「当たり前の日常」です。
 
 私たちは、出会う少女たちの伴走者となり、共に考え、泣き、笑い、怒り、歩む力となりたいと考えています。
 
 すべての少女が「衣食住」と「関係性」を持ち、困難を抱える少女が暴力を受けたり、搾取に行き着かなくてよい社会を目指して活動を続けます。

 

 

女の子たちの「本質的ニーズ」は、「当たり前の日常」。

私はそう思う。

 

中には、幼少期から「当たり前の日常」を経験していない人もいる。

だから「日常」を一つ一つ積み重ねていくこと。

自分が変わることで、過去は変えられること。

 心に留めておきたい、とっても身に染みる言葉をたくさんいただきました。

  

2時間の講演で、直接女の子たちに話を聞いたわけじゃない。

けれど、大好きな場所で大切なことをまた一つ学んだ1日でした*

 

ぶろぐ、はじめました*

こんばんは!

ついに!ブログを始めてみました〜。

 

でも初ブログではなくて。笑

 

大学生のある一時期、実はやっていて。

地域インターンでもちらっと書いたり。

 

ここ最近は全くしていなかったけれど、周りの友人たちがブログをやっているを見て、私も何か書きたい!!とうずうずしてしまい。

 

また書き始めることにしました( ̄▽ ̄)

 

 

今、学んでいる「ソーシャルワーク」のことや、日常を生きる中でふと思ったことを自由気ままに書いこうと思います。

 

ちなみにブログのタイトルは、リノベスクールのあるユニットの会社名をちょっとパクりました。笑

 

「鈴の音」と「鈴ノート」の韻を踏んで「すずのおと」。

 

誰かに発信するというよりも、自分の生きた「記録」を綴る。

 

自分の棚卸しも含めてゆるく続けます* 

 

ついでに...

趣味で撮影した写真をアップ!

 

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先週登った筑波山の山頂!

山登り、ハマりそうかも。笑