JKビジネスから学んだ「ココロ」の寄り添いかた。
先週のおはなし*
高校生時代からお世話になっている寿町のつながりで、一般社団法人colaboの講演会に行ってきました。
場所は…
大好きな横浜♡
(写真は花火大会に行った時の。)
桜木町駅の近くにある教会での講演会。
教会も人が集うパブリックスペース。
そして、ステンドグラスがめちゃくちゃ素敵。
部屋の窓をステンドグラスにしたら、毎日カーテンを開けるのが楽しいだろうなぁ。(妄想)
ここからいよいよ本題。
colaboの活動は以前から知っていたけれど、想像を遥かに超える現実で。
もしかしたら、学校が同じだったあの子も...と数年前の記憶が蘇る。
悲しみや憤り、いろんな感情が湧き上がってくる。
中でも心に刺さったのが、JKビジネスのこと。
全てのJKビジネスが危険とは言い切れないけど、性的被害を受けている女の子たちがいることも事実。
一方で講演会の中でもお話があったように、福祉が学ぶべきポイントも多くて。
そのポイントを3つにまとめてみる。
①「ニーズ」に合わせる
講演会で紹介されていた、JKビジネス関係の求人サイトを実際に見てみると。
ぱっと見かわいいサイト。女の子向けってことが一目瞭然。
(仁藤さんが、「公的機関や福祉関係でこんなに可愛いサイトありますか?」と問いかけられ、皆さん失笑してたのが印象的。笑)
さらにあるリフレの求人を見てみると、
「寮完備!」
「食事代支給・おいしいものが食べられる!」
「オープニングスタッフだから、派閥なし!嫌がらせなし!」
女の子たちの環境や心理をよく理解している、ほんとに。
居場所もお金もない、頼ることができる大人や関係もなかなかない。
福祉よりも先に、「ニーズ」を捉えて物理的、精神的な「居場所づくり」をしている。
だから、こんなに浸透している。
でもよくよく考えると、「本質的ニーズ」は違うのではないかとも思う。(それは後述で。)
②言葉の影響力
①とも結構重なることで、良くも悪くも言葉の影響力はすごい。
なぜ福祉や公的機関などから距離を置かれてしまうのか。
原因はこれが大きく関係しているのではないかと。
例えば、ある相談窓口での女の子が受けた言葉。
「自分を大切にしなさい」
一見その通りだと思うし、私も友達に言いがちな言葉。
けれど、JKビジネスや売春をしている女の子は、自分で生きるためにそうせざるを得ないわけで。じゃあどうやって大切にしたらいいの?って。
たった数文字の言葉は、受け取る相手によって追い詰めてしまうこと。
そして、心に距離感が生まれ、一瞬で信頼を失うこと。
言葉の選び方と伝え方。
そこへの想像力を最大限に意識しなきゃと反省だし、たぶん一生の課題。
③とにかくめげない!
スカウトや買春をしたい大人たちは、極論1000人に声をかけて1人でも反応してくれればいいんだとか。
非効率な気もするけど、それにしてもメンタル強すぎる...。
でも、こうした姿勢も学ぶことはあって。
どうしても相談援助の現場は、受け皿(窓口)を作ることに目がいきがちで、
外に出向くこと(アウトリーチ)になかなか結びついていないようで。
(なぜ結びついていないかはあくまで想像だけど、慢性的な人手不足や業務の負担が大きいことがあるかなと。)
行動量に差があるなら、女の子たちの環境や心理を理解するのに差が生まれる。
結局、まずは行動あるのみ!と痛感...。
そして最後に。
colaboのannual report2014から設立趣意書を抜粋。
高校時代、私は渋谷で月25日を過ごす「難民高校生」でした。家族との仲は悪く、教員ともうまくいかず、街を彷徨っていた私は当時、自分にはどこにも「居場所がない」と思っていました。街には、同じように「居場所がない」と集まっている友人がたくさんいました。私たちは、家庭や学校、他のどこにも居場所がないと感じている高校生を「難民高校生」と呼んでいます。家庭と学校の往復を生活の軸にしている中高生は、限られた人間関係しか持っておらず、それらが何らかのきっかけで崩れると、すぐに孤立してしまいます。「難民高校生」には誰にでもなる可能性があるのです。そうした少年少女が見守る大人のいない状態で生活するようになると、危険に取り込まれやすくなります。心身ともにリスクの高いところで搾取される違法の仕事、未成年の少女たちの売春斡旋や、性暴力、望まない妊娠や中絶など、目をつぶりたくなるような現実を、10代の頃からたくさん目にしてきました。このままの生活を続ける以外にどんな選択肢があるのかさえわからず、ぎりぎりの生活を続けるうちに、ますます孤立・困窮状態から抜け出せなくなってしまいます。そのまま大人になり、親になると、今度は連鎖を生み出す側になってしまいます。問題の背景には、「関係性の貧困」があります。私たちは、安心して眠ったり過ごせる家や、帰りたいと思える家がない少女、誰かと食卓を囲む体験や、困ったときに頼れる関係性を持たない少女たちと日々出会っています。彼女たちに必要なのは、特別な支援ではなく「当たり前の日常」です。私たちは、出会う少女たちの伴走者となり、共に考え、泣き、笑い、怒り、歩む力となりたいと考えています。すべての少女が「衣食住」と「関係性」を持ち、困難を抱える少女が暴力を受けたり、搾取に行き着かなくてよい社会を目指して活動を続けます。
女の子たちの「本質的ニーズ」は、「当たり前の日常」。
私はそう思う。
中には、幼少期から「当たり前の日常」を経験していない人もいる。
だから「日常」を一つ一つ積み重ねていくこと。
自分が変わることで、過去は変えられること。
心に留めておきたい、とっても身に染みる言葉をたくさんいただきました。
2時間の講演で、直接女の子たちに話を聞いたわけじゃない。
けれど、大好きな場所で大切なことをまた一つ学んだ1日でした*