みるということ*
暗闇の中。
どんなに時間が経っても何もみえない真っ暗闇。
8人の参加者と、視覚障害を持つアテンドの方と一緒に進む、漆黒の世界。
声や香り、音、手先の感覚。
それだけが頼り。
最初は、一歩踏み出すことさえどうしようもなく不安だった。
けれど声が聞こえるだけで、モノや人に触れるだけで、ものすごく安心した。
90分間の冒険。
草の香りを感じながらトンネルをくぐって。
橋を渡り、美術館で絵を鑑賞して。
そのあとはカフェに寄り道。
「触れて」飲み物を注文してみんなでおしゃべり。
最後は少し光が差し込む部屋で、この90分を1枚の絵にした。
「トンネルをくぐり終わってひらけた瞬間に「みえた」気がした。」
「1人では何もみえないと思った。」
「飲み物の味が濃く感じる。いつもは水みたいに飲んじゃうけど。」
参加者の皆さんの声。
一つ一つの言葉が私にはとっても新鮮な気づき。
90分間、暗闇のエンターテイメントを堪能して、思うことは溢れるほどある。
暗闇だからわかる、日常の不便さ。
「みえる人間」の視点で多くのモノが生産されていること。
みえない世界をみることで、みえる世界の狭さを突きつけられる。
暗闇だからわかる、人の本当の姿。
困っていたら、当たり前のように手と手を取り合う。
もし「みえて」いたら、同じことができただろうか。
「あなたにとってみるということは?」
私は「日常にありふれたものを感じること」と答えた。
目から入ってくる情報や時間感覚がなくなる暗闇。
情報量が減って追われるものがなくなって、全身が研ぎ澄まされる。
暗闇があんなに怖かったのに、光がみえた時「日常」に戻るのを一瞬ためらった。
帰り道。雑踏とした山手線のホームで、蝉の声がはっきり聞こえる。
暗闇が私の日常を豊かにしてくれた、そんな気がした。
***
ダイアログ・イン・ザ・ダークで体験したことをつらつらと。
体験した直後、うまく言葉にできないのはいつものことで。
でも落ち着いて少しずつ振り返ると、たくさんの心の動きがあったんだなぁと気づく。
秋を感じる夏の終わり。これからも、まだみぬ世界を楽しみに。